裁判例
Precedent
事案の概要
消防士であるXは、喘息症状が出ていたが勤務を継続していたところ、勤務先の寝室で死亡した。
Xの遺族は、処分行政庁に対し、Xの死亡が公務に起因して発生したものとして公務災害認定請求をした。
しかし、公務外の災害と認定されたため、遺族は、Xは過重業務から喘息発作に引き続く心室細動により死亡したものである等と主張して、本件処分の取消しを求める訴えを提起した。
第一審は、①Xの死因について、Xがもともと有していた喘息症状が悪化し、死亡直前に重篤な喘息発作が発症した結果死亡したという機序を認定したうえで、②疾病の発症自体には公務起因性は認められないとしたが、③職種などから、業務を理由とした治療機会の喪失については認め、公務と死亡との間に相当因果関係があるとして、本件処分を取り消した。
<争点>
発症後の業務継続による治療機会の喪失を理由とした業務(公務)起因性。
―「業務ゆえの治療機会の喪失」と認められるか否か。
<判決の内容>
・本判決上認められた事実
①Xは、死亡した当日の深夜に咳がひどい状態となった。
しかし、人員に欠員2名を他所からの応援で埋めていた。
また、Xは補勤であったことから、勤務の変更が容易であったとはいえない。
②人員は人数が揃っていればよいというものではなく、それぞれの資格保有者が確保されていなければならないところ、Xの代替配置には、二つの資格を有する者が必要であり、この点からも、勤務の変更は困難である。
③制度として勤務を離脱することが認められはいたが、その責任感、使命感から勤務離脱を躊躇し、勤務を継続するのが実態であった。
④Xには治療意思はあったものの、人員配置に余裕がないことを認識していたために、体調が悪いのを押して出勤し通常勤務を行っていた。
それゆえ、当日の勤務がなければ、直ちに勤務を離脱して治療を受けていた蓋然性が高い。
これらの事情から、本判決は、職場の常態と職務の性質から公務離脱が困難で治療機会を喪失したものとして、Xの死亡を公務災害と認定した。
まとめ
本判決は、後掲判例①②が確立した「治療機会の喪失」法理を適用して業務起因性を肯定したケースです。
「治療機会の喪失」法理とは、疾患の発症自体には業務因性がなくても、発症後に引き続き業務に従事せざるを得ず適切な治療、処置を受けられなかったという事情を、職務に内在する危険であると捉えて業務起因性を肯定する法理です。
そして、本判決は、職場の常態と職務の性質からくる公務離脱の難易の観点に加えて、上記のとおり、消防士の使命感に根差した心理的抵抗感についても、きめ細かく言及しています。
今後は、「治療機会の喪失」法理を適用して業務起因性を肯定するための要件を充足する事実関係は具体的にどのようなものであるべきかを、事例の蓄積により明らかにしていくことが必要となります。積極、消極の双方の事例の蓄積が待たれます。
なお、判例の「治療機会の喪失」法理に対しては、学説上、症状の自覚がない基礎疾病の場合には業務がなくとも労働者は治療に行かないためそもそも結果を回避できないにもかかわらず業務起因性が認められてしまう、といった指摘もあるところです。
参考
判例① 最高裁判決平成8.1.23判タ901号100頁、
公立高校の体育教師が労作型の不安定狭心症を発症し、入院のうえ適切な治療と安静を必要とし、不用意な運動負荷をかけると心筋梗塞に進行する危険が高い状況にあったにもかかわらず、狭心症発症の当日及び翌日も引き続き公務に従事せざるを得なかったなど判示の事実関係の下においては、狭心症発症の翌日における同人の心筋梗塞による死亡は公務上の死亡に当たる、とした。
判例② 最高裁判決平成8.3.5判タ906号203頁
市立小学校教諭が、午前中に出血を開始した特発性脳内出血により、当日午後行われた児童のポートボールの試合の審判として球技指導中に意識不明となって倒れ、入院後死亡した事例について、特発性脳内出血は出血開始から血腫が拡大し意識障害に至るまでの時間がかなり掛かるものであり、同人は午前中の段階で身体的不調を訴えており、審判の交代を同僚教諭らに申し入れたが聞き入れられず、やむなく審判を担当したなど判示の事実関係の下においては、出血開始後の公務の遂行が特発性脳内出血の態様、程度に影響を与えた可能性、死亡に至るほどの血腫の形成を避けられた可能性等について審理判断を尽くすべきである、とした。