複雑な保険の世界② ~人身傷害保険と被害者の過失編~
1.人身傷害保険とは
人身傷害保険とは、交通事故によって被保険者が死傷した場合に、被保険者の被る損害を補填する保険です。
この保険は次の3点の大きなメリットがある点で、画期的な保険として平成10年以降爆発的に普及しました。
- 実損害を補償
- 過失割合に影響されない
- 相手方との示談交渉不要
(1)実損害を補償
通常の搭乗者保険などでは、「通院一日辺り○円の保険金」というように、支払基準が定められています。
例えば、通院一日につき5000円という契約内容だった場合に、検査等で1万円かかったとしても、一日につき支払を受けられるのは5000円のみです。
しかし、人身傷害保険であれば、実際にかかった1万円の支払いを受けることができます。
これによって、実際に支出した治療費等を確実に回収することができます。
(2)過失割合に影響されない
人身傷害保険のメリットの中でも特筆すべきがこの過失割合に影響されないという点です。
損害賠償は、損害の公平な分担という理念の下、両当事者の落ち度を勘案して賠償の割合を定めます。
例えば、100万円の損害が発生していても、過失割合が自分に4割生じていれば、4割が減額され、60万円の賠償しか受けられないのです。
しかし、人身傷害保険はこの自分の過失割合分をもカバーするという点で、他の保険と一線を画しています。
(3)相手方との示談交渉不要
損害の賠償を受けるためには、基本的には相手方当事者または保険会社と示談の交渉をすることになります。
ここに時間を要することが、多々あります。
しかし、人身傷害保険は相手の保険ではなく自分の保険です。
自分が人身傷害保険を契約してさえいれば、相手方との面倒な交渉をせずとも、自分の保険から簡易・早期に支払を受けられます。
2.本当に実損害額を全て支払ってくれるのか
上記メリットを概観すると、人身傷害保険は非の打ち所のないすばらしい保険のようです。 しかし、何事にも落とし穴はあるもの。
人身傷害保険で支払われる損害額は、人身傷害保険約款で定められた基準に基づくものであり、一般にこの基準は訴訟を提起した場合に認められるであろう金額よりも低廉となっています。
「え、実損害を補償するんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、これは「実損害」の算定の問題です。
実損害補償とは、個別事案に応じて損害の算定をするということであり、その算定のためのものさしは様々です。
保険会社のものさしと裁判所のものさしでは、一般的に後者のほうが高額になるのです。
そうだとすると、人身傷害保険からの支払いだけでは、裁判基準と比べると適切な補償を受けられているとはいえない場合も多くあります。
そして、この人身傷害保険基準と裁判基準の差額の問題は、被害者に過失がある場合により深刻になります。
3.被害者の過失相殺が問題となる場合
以下の設例で具体的に検討していきたいと思います。
Xさんは交差点でYさんの車両と出合い頭に衝突してしまい怪我を負いました。 XさんとYさんの過失割合はX:Y=4:6です。 Xさんの損害は、人身傷害基準で計算すると800万円、裁判基準で計算すると1000万円となりました。 |
この場合、裁判基準の損害は1000万円ですが、過失割合があるため、
XさんがYさんに法的に請求できる金額は1000万円×60%=60万円となります。
しかしXさんはせっかく人身傷害保険に加入しているので、人身傷害保険を併用して過失分を補填し、合計1000万円全額の補償を受けたいところです。
相手から600万円を、人身傷害保険から400万円を支払ってもらえればいいのですが、これができるのかが大きな問題となりました。
この点は、人身傷害保険の約款の解釈について数々の訴訟が起こされ、裁判所においても様々な判断が下されました。
結論としては、当時の約款では
人身傷害保険から先に支払を受けた場合には全額の補償が得られるが相手から先に賠償を受けた場合には全額の補償は得られない。
という、不均衡が生じることとなりました。
(1)現在の約款に即して
現在ではほとんど全ての保険会社が、約款を改定しました。
これは、上記の不均衡が生じてしまうのを是正する目的の他、保険法が施行された影響が強く、保険法の文言に従った規定に改定されていることが多いです。
では、現在の約款では、どのように規定されていて、どのような処理がなされるのでしょうか。
ポイントとなるのは、人身傷害保険で支払を受けた場合、それに対応する債権額がその人身傷害保険会社へ移ることです。
これを法律では「代位」といいます。
例えば、上記の例でXに過失割合がなかった場合、Xは人身傷害保険から800万円を回収できれば、あとは加害者へ200万円の請求をすればよいことになります。
そのかわり、保険会社が800万円を加害者に請求していくことになります。
過失割合がある際に問題となるのは、この保険会社が代位できる限度はどこまでなのかという点です。
では、実際に損害保険ジャパン日本興亜株式会社の約款を例にとって見てみましょう。
基本約款第29条(代位) (1)損害が生じたことにより被保険者又は保険金を受け取るべき者が被保険者等債権を取得した場合において、当会社がその損害に対して保険金を支払ったときは、その被保険者等債権は次の額を限度として当会社に移転します。 ①当会社が損害額及び費用の全額を保険金として支払った場合 次のいずれか低い額 ア.左記の支払った保険金の額 イ.被保険者又は保険金を受け取るべき者が取得した被保険者等債権の全額 ②当会社が損害額及び費用の一部を保険金として支払った場合 次のいずれか低い額 ア.左記の支払った保険金の額 イ.次の算式により算出された額 被保険者又は保険金を受け取るべき者が取得した被保険者等債権の額 -損害額及び費用のうち保険金が支払われていない額 (2)省略 (3)(1)の場合において、保険金を受け取るべき者が取得した被保険者等債権が人身傷害条項にかかる損害に関するものであるときは、次に定めるところにより取り扱います。 ①省略 ②(1)の損害額は、人身傷害条項第6条(損害額の決定)の規定により決定される損害額とします。~以下略~ |
上記条項で、保険会社が代位できる範囲を定めています。
いろいろな文言が出てきますが、上記設例に置き換えると以下のようになります。
- 支払った保険金の額=800万円
- 被保険者等債権の額=600万円
- 損害額=800万円
すると、上記設例では、
800万円の損害額全額を支払っているので、29条(1)①によって、
ア.800万円
イ.600万円
を比べ、低い600万円が代位します。
この場合、そもそもXがYに請求できる金額は600万円までなので、これが全額保険会社に移ってしまう結果、XはYに対して追加請求できないこととなります。
これでは、人身傷害保険が全実損害をカバーする画期的な保険であるとは言えません。
以前の約款において訴訟で認められていた部分も認められないことになってしまいます。
これをクリアする鍵は、人身傷害条項6条にありました。
人身傷害条項6条(損害額の決定) (1)省略 (2)省略 (3)(1)および(2)の規定にかかわらず、賠償義務者があり、かつ、賠償義務者が負担すべき法律上の損害賠償責任の額を決定するにあたって、判決または裁判上の和解において(1)および(2)の規定により決定される損害額を超える損害額が認められた場合に限り、賠償義務者が負担すべき法律上の損害賠償責任の額を決定するにあたって認められた損害額をこの人身傷害条項における損害額とみなします。ただし、その損害額が社会通念上妥当であると認められる場合に限ります。 |
意訳すると、人身傷害保険で支払う損害額は、基本的には約款条項に従って決定するが、裁判の中で人身傷害約款による金額よりも高額が適切に認定された場合には、その金額を損害額とすることとする、ということです。
そうすると、裁判で損害額が1000万円だという判決または和解が出たとすると、
・支払った保険金の額=800万円
・被保険者等債権の額=600万円
・損害額=1000万円
となります。
これを上記約款に再度当てはめると、損害額1000万円に対して800万円の支払いしかないため、29条(1)②が適用されます。
すると、
ア.800万円
イ.600万円-(1000万円-800万円)=400万円
となり、400万円が保険会社に代位によって移ることになります。
すると、XはYに対して600万円請求できたところ、そのうち400万円を保険会社が代位するため、残りの200万円はXが請求できます。
この200万円と、既に人身傷害保険から受け取っている800万円を合わせると、総損害額である1000万円を確保することができるのです。
まとめ
上記条項によれば、人身傷害保険から先に給付を受けた場合と、相手方から先に賠償を受けた場合で、結論が変わるという不均衡はなくなりました。
しかし、今度は損害賠償の裁判をした場合と、裁判をせずに示談した場合で結論が変わってしまうことになってしまいます。
上記の例では、訴訟をしないと800万円、訴訟をすると1000万円を得ることができ、訴訟をするか否かで200万円の差が出てしまいます。
今回は、一社のみを取り上げましたが、概ねどの保険会社も同様の規定をしていると思われます。
さらに問題なのは、このような約款の適用関係を、保険会社の担当者自身もきちんと把握できていない場合が多いということです。
保険会社に問い合わせても、「よくわからない」「そのような対応はしたことない」とにべもなく断られてしまうことも多いのです。
保険はうまく使えば、事故による被害を軽減することができます。
自身の被った損害に対して適切な補償を受けるために、何かご不明な点がありましたら弁護士にご相談いただくことをお勧めします。
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